留学体験記

根岸 一明(平成12年入会)

アラブの富豪が病気になったら。。。

47-4あれは大学5年生のときだった。「君たち、アラブの富豪が病気になったら行く病院、知っとるかなぁ?」と、関西訛りの某教授が授業でこう問いかけた。「彼らはお金があるから世界中どこの病院でもいける。そんな人はどこの病院に行くと思う?」「アラブの病院ちゃうで。日本も跳び越してやなぁ、Mayo Clinicとか Cleveland Clinicというアメリカの病院へ行くんや。」(へぇー、Mayoは聞いたことあるけど、もう一個の方は知らないなぁ。)と、再び意識を失った。

それからちょうど10年。いろいろありまして、私は今Cleveland Clinicに留学しています。Cleveland Clinicは、US. News & World Report誌の循環器・心臓血管外科部門で18年連続1位の病院です。先のアメリカ大統領選のディベートでもヘルスケアシステムの見本として、両候補者ともに言及しておりました。五大湖の一つエリー湖のほとり、オハイオ州クリーブランドにあるこの病院は、日本の感覚で言うといわゆるマンモス病院です。従業員の数は4万人、地上9階建て地下2階のHeart Vascular Centerだけで群大病院と同じくらいの大きさです。世界で最初の冠動脈造影(Sones, 1958)、冠動脈バイパス手術(Favaloro, 1967)が行われたことやAngiotensin IIを合成したことでも知られております。私は2010年からこちらの心臓イメージング部門で主に心エコーを用いた臨床研究をしています。心筋ストレイン法の臨床応用として、虚血性心疾患、糖尿病性心筋症、抗がん剤による心毒性の評価を行っています。アメリカらしいことといえば、NASAのプロジェクトの一つで、無重力空間での心機能の変化に関する研究にも携わっています。

留学にはいくつかのメリット・デメリットがあります。最大のメリットは、時間です。日本では仕事の合間の細切れの時間を縫い合わせるように確保していたものが、ほぼ自分の自由になります。ポケベルやPHSの呼び出しもないので、仕事に集中でき、とてもはかどります。循環器の研究に加え、まとまった時間を利用し、統計学と疫学を基礎から英語で学べたのはとても有意義でした。Study designをはじめsample sizeの計算、propensity score解析といった手法も活用できるようになりました。e-mailやSkypeを利用し、これらの知識を後輩に還元しながら、現在も指導しております。ずいぶん便利になったものです。また、早朝と週末を利用しUSMLEの勉強をしてみたところ、ECFMG Certificateを取得することもできました。週末は、家族サービスもできます。土曜日の午前中に一週間分の食材を買ってしまえば、天気のいい日にはサイクリングをしたり、ピクニックをしたりとゆっくり家族を過ごすこともできます。

もう一つのメリットは異文化交流です。私は正直アメリカにはあまり興味がなかったのですが、こちらに来てみて分かったことは、アメリカは移民の国なので、世界の縮図を見られることです。患者さんだけでなく、クリニックで働いている医師も、世界各国から来ておりまして、さながら多国籍軍のようです。いろいろな事柄に対する反応・考え方・表現法も様々で、そういった多様性に触れることができるのはアメリカならではかもしれません。

一方、最大のデメリットはお金でしょう。しかしある意味、「日本にいたときの収入」-「アメリカでの収入」の差額で、この時間を買っているという考え方もできます。留学していると、「留学に行ったほうがいいか?」とよく聞かれますが、これに関するランダム化試験は過去にないですし、倫理的な観点からIRBは通らないでしょうから、恐らく今後も答えはありません。しかも、留学は多くの人が希望して行くので、どの人(サンプル)もBiasがかかっています。ただ、逆にこういう質問をする人は多くの場合、留学に興味がある人なので、「そういう疑問を持つ人は行ったほうがいい」とも言えます。
留学を考えている方に、私が留学前に頂いたアドバイスで最もよかったものを紹介します。「留学は人生置ける一大イベントだから、それをゴールに考えてしまいがちであるが、『留学はゴールではなく、通過点である』。その後のことを常に考えながら、思いっきり研究してください。」これは、真実だと思います。
ただ、希望があってもコネやノウハウがないと留学は難しいので、留学に理解のある科を選ばれることをお勧めします。ちなみに、第二内科から現在私を含め5名が海外留学しております。結構多い方だと思います。最後になりましたが、私が留学できるのも、倉林教授や、群馬県内の循環器医療を支えてくれている、先輩・後輩のおかげです。特に、エコーチームを支えてくれている黒澤・舘野先生をはじめとするエコーチームの先生、技師さんたちのおかげです。この場を借りて、皆様に、改めて厚く御礼申し上げます。

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小板橋 紀通(平成8年入会)

医会長 大学院留年を覚悟した2004年の年末、クリスマスイブの夜に私の学位論文のアクセプトの知らせが届き、私はなんとか大学院を卒業できました。指導医の新井先生に叱咤激励をうけてなんとか研究を続け、自分の仕事がPubMedに載り、世の中に認められる喜びを感じ始めたころ、海外留学も意識し始めたと思います。日本の教科書はオリジナルのように書いていてもみんなアメリカの教科書の和訳ですし、循環器内科を深く勉強すれば勉強するほど、アメリカで循環器の基礎研究をやってみたいと考えました。当時私は心臓の拡張不全のメカニズムに興味があり、心臓線維化についての研究をしていましたが、あるジャーナルに拡張不全について、どこかで読んだような一般的な知識の羅列ではない、深い洞察を含んだreviewがあり、感銘を受けました。それがJohns Hopkins大学のDr. Kassでした。倉林教授に相談したところ、Dr.Kassのところに留学中の日本人をよく知っているからすぐ連絡してあげるとのこと。東大から留学していた先生にすぐ連絡がつき、ポスドクフェロー募集はしていないけれど考えてもいいとの返事。あれよあれよと話が進み、2005年の秋に学会で大阪に来たDr. Kassと面談し、留学が決まりました。その後留学助成金を獲得し、2006年の秋に渡米しました。
高校も大学も就職も群馬だった私は、実は群馬県外での生活は、この渡米が初めてでした。妻と3歳の一人息子を連れ、たどり着いたアメリカ・メリーランド州・ボルチモアは、英語がうまく話せない自分にとって、見たこともないような肥満の人がたくさんいる、別の惑星同然でした。最初は呼吸をするのもストレスに感じるような気分でしたが、動かなければなにも始まりません。片言の英語で懸命に生活をはじめ、いい加減なアメリカの事務員たちに怒りを覚えながら、また様々な人の助けを借りながら、徐々に生活に慣れていきました。アメリカの研究室は日本人も2名いてボスも気さくで優しく、働きやすい場所でした。中国人、モロッコ人、イタリア人、クロアチア人など多彩な人種の集まりでした。いま思えば当たり前ですが、人間は言葉が違うだけで、どんな国の人でもみんな普通に分かり合えるんだなあと、感じました。

 わたしのボスであったDavid Kassは、心臓の圧容量曲線PV-loopの元祖、佐川喜一先生の最後の弟子といわれるアメリカ人です。いつも明るく、こちらが心配になるくらい楽天的。いいかげんなところもありますが、ラボのメンバーのためであればサイエンスでもサイエンス以外でもじっくりと相談に乗ってくれる、頼れるボスでした。心臓の生理学をアメリカでもっとも理解している一人であり、分子生物学からヒトの病態まで、すべてを統合的にイメージして、アイデアを発想できる、稀有な存在でした。両室ペーシングによる心臓再同期療法の先駆者であり、リバース・リモデリングという言葉を世界で最初に提唱したひとでもあります。渡米当初は、群大の大学院時代にやっていた細胞培養を中心とした分子生物学的研究をしていましたが、徐々にマウスを使った実験に移行し、様々な技術を体得することができました。2009年にはアメリカ心臓協会(AHA)でMarcus賞 (若手研究者奨励賞)を受賞しましたし、JCIを含む4本の筆頭著者論文、共著者の論文を含めれば16本の論文を一流雑誌にpublishしました。これもDr. Kassの指導、教育のおかげであり、本当に感謝しております。

 当初3年くらいの予定だった留学生活でしたが、研究プロジェクトは紆余曲折あって仕上げるまで時間がかかり、倉林教授のお許しをえて、4年半の長い留学となりました。その間、給与グラントを獲得し、自分の給料を自分の力で稼ぐことができたこと、子供ができたときに健康保険料はすべて自分が出すといってくれたボスのおかげで、経済的にも困窮することはありませんでした。息子が大けがをしてERに運ばれたり、子供が3人生まれて合計4人になったりして、アメリカの医療現場も実体験として十分見学してきました。Johns Hopkins病院の循環器内科レジデントは、4年間のうち2年間は研究に従事することが義務でしたから、Kassラボにも循環器内科レジデントが数名いました。彼らは臨床医でありながら基礎研究もよく勉強しており、彼らと話をするのはとても楽しいものでした。仕事が軌道に乗るにつれ、アメリカ人の大学院生や医学部の学生が私につくようになり、教える側として大変勉強になりました。このように循環器医、医学生、大学院生との濃密な関わり、そして患者家族としての医療経験があり、アメリカの医療システム、医学教育システム、循環器専門医育成システムも勉強できました。また毎年の確定申告や所得に応じた生活援助システム、小児保健のシステムなど、アメリカという国家の良い部分悪い部分を実体験として学び、母国日本という国を見直すきっかけになったことはかけがえのない経験でした。

 アメリカで研究者として続けたいという気持ちが芽生えたこともありましたが、日本では医師だけれどもアメリカでは医師ではないというのが、帰国の大きな理由でした。臨床はもともと大好きでしたし、同級生の支えもあって、帰国後の医師再開は容易でした。研究も帰国後ゆっくりですが確実に新しい展開を踏み出させていると思います。この留学記を読んで、私のように臨床医をしながら医学基礎研究を通じて世界と戦ってくれる若い人がいることを望みます。

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    指導した大学院生、医学生と
  • 47-2
    ワシントンDCの桜 妻と息子と(2007年春)
  • 47-3
    同じラボのポスドク仲間たち


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